テキスト中国語
大道汜,其可左右。
万物恃之以生而不辞,成功不名有。
爱养万物不为主,可名于大。
是以圣人终不为大,故能成其大。
翻訳
道は広く流れ、左にも右にも行き渡る。
万物は道に頼って生まれ、道は決して拒まない。
功績を成し遂げても、道はそれを自分のものとはしない。
万物を愛し育みながら、道は決して主と名乗らない。
常に欲望を持たないので、小さいと名づけることができる。
万物が道に従うのに、道は決して主と名乗らない。大きいと名づけることができる。
それゆえ、聖人は一生を通じて自分を大きいとは思わない。
だからこそ、大きなことを成し遂げることができるのだ。
注釈
汜(fàn)という字は、文字通り「浮かぶ」という意味だが、ここでは道がどこまでも流れて、何の障害にも阻まれない様子を表している。
注釈者Cは、汜(fàn)を「氾濫(fànlàn)」と同じ意味で解釈し、「道はあふれ出て、どこにも行き渡る」と説明している。
Bは、「道は天地や万物の中を流れ、右にも左にもあり、形も決まった名前もない」と説明している。
この表現は、道には不可能なことは何もないことを意味している。
万物が生まれるとき、必ず道の助けを借りて初めて生命を得る。道は万物の求めるものをすべて与え、決して拒まない。
万物が生まれて形を成すとき、その功績は道に帰する。道が万物を生み育てたからだ。
万物が完全に成長したとき、道はその功績を自分のものとはせず、万物を自分の所有物とはしない(文字通り「自分の所有物とは名乗らない」)。
初めに生命を与え、最後には完全な成長へと導く。道は万物を最も完全な形で愛し育む。しかし、万物に恵みを与えながらも、決して自分を万物の主とは思わない。一般的に、人間が仕事をするとき、必ず疲れるものだ。誰が道のように、万物を生み出すための仕事を完全にこなし、必要な助けを万物に与え続けられるだろうか?
人間が功績を得ると、必ずそれに執着する(そして自慢する)。誰が道のように、功績の頂点に達しても、それを自分のものとは思わないだろうか?
もし誰かが自分で子どもを育てれば、必ずその子どもの主となる。誰が道のように、万物を愛し育む最高の徳を持ちながら、万物を自分の所有物とは思わないだろうか? これが道が偉大な理由だ。
道はその徳を隠し、名前を隠す。常に無為で、非常に小さく細かい。道は静かで欲望がない。存在しながら存在しないように見え、満ちているのに空っぽに見える。ほぼ小さいと名づけることができる。
万物が道に従ったとき、最後には万物から離れて、まるで他人であるかのように振る舞う。大きいと名づけることができる。
聖人の心は道に似ている。徳が非常に大きくても、決して自分を大きいとは思わない。これが偉大な理由だ。